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ミラノ

2017.01.08 | 

こんにちは。只今イタリア研修中です。ロンドンのヒースロー空港経由でミラノに入り、初日ミラノをまわりました。

ミラノはかつて、メディオラヌム、つまりミドルランド(平原の真ん中)と呼ばれていました。ローマ時代には、北側のアルプス越えのための足がかりとなる要衝として使われ、西ローマ帝国の時代には、首都でもありました。 他の街とは異なり、この街には生活排水を流すための川がなく、アルプスの方から水を引き込む必要がありました。15世紀にはレオナルド・ダ・ヴィンチも、この治水工事に携わっていたと言われており、その功績により、スフォルツェスコ城の建設に関わりました。このスフォルツェスコ城というのは、ミラノの街の北側に位置し、敵の襲来に備えるためにこの城からのびる城壁で街全体が囲われていました。そして街の中心には、4万人が収容できる、ドゥオモ(神の家の意)があります。当時の街の人々4万人全員が入れる大きさです。

↓ルネサンス期のミラノ。北側にスフォルツェスコ城、中央にドゥオモがある。

↓スフォルツェスコ城外観。城壁の四角い小さな穴は足場固定用の穴。

↓スフォルツェスコ城中庭



↓ドゥオモ外観

↓ドゥオモ内観

↓ドゥオモ側面

↓ドゥオモ前の広場



こちら↓は、サンタ・マリア・ディレ・グラツィエ教会。ゴシック様式です。

この教会の食堂に、レオナルド・ダ・ヴィンチ最後の晩餐があります。